2020-09-25
幸せの気
とてもとても久しぶりにサーフィンをした。サイズが僅かヒザ前後のゆるい波だったのに、最初は変な力が入り、ウネリに押されても直ぐに体が反応出来ない。それでも少しずつほぐれ、波と戯れる楽しさが蘇り、陸に上がる頃には幸せのメーターが振り切れそうな程、心が満ち足りていた。体の中に海からのいいリズム、良い波動が流れているのを実感。ところが帰る途中、ちょっとばかりイラッとする事があり、文句を口にしそうになった、がその瞬間、頭の中に先程のキラキラと光る海面が浮かんだ。「そうだ、せっかく海から良い気を頂いたのだから、それを自ら消してどうする!」と、そのマイナスの一言を飲み込んだ。それからと言うもの、少しでも嬉しい出会いや楽しい事があると、同じように気持ちを切り替えるよう、心掛けている。小さな幸せの芽を大事にしていると、きっと人にも優しくなれるから…。
2020-09-16
食の作法
弱い南風の吹く9月中旬の午前中、片瀬東浜を歩いた。波打際に打ち寄せられた沢山の貝殻を見ていると、ポッコリ穴の空いた小さな貝が目に入った。その穴の、なんと美しいこと…完璧なまん丸だ。これは、貝類を捕食するツメタガイによるもので、食べられてしまう貝にしてみれば住居不法侵入で訴えたいところだろう。それはさておき、ツメタガイの技術力と言うか正確さは、人間の比ではないと思う。人間なら道具が必要であるし、何かを使ったとしても形が歪んだり割ってしまう確率も高い。それを小さな生き物が自らの力のみで、綺麗な丸い穴を作るのだから、凄い。生きる為の食であれば形はどうあれ、開けられれば良いと思うが、美しく拵えるところ、お行儀が良いではないか。 そろそろ食欲の秋、命に感謝し、お上品に楽しもう。
2020-09-04
大なり小なり
まだまだ残暑が続きそうな今年の9月。それでも風は軽くなり、店頭には新物がチラチラと並び始めた。早くも2020年産の新米を見かけ驚いたところ、宮崎産だった。先日お米を研いでいた時に気がついたのだが、生のお米がザルに残ったりパラパラと零れたりしたら一粒も残さないよう拾うのに、鍋や炊飯器に炊いたお米が少々こびり付いていても平気で洗ってしまう。同じお米一粒なのに…。これは、数が多かったり物事が大きいと、小さなモノが見えなくなるのに、ちょっと似ているかも…。沢山あるモノの中では一つの価値が下がると言うか、大きなものの中では小さなものが弱くなると言うか。例えば、同じような服が何枚もあると、一枚に対しての思いって浅くなりませんか?また大勢の中に入ると、自分くらいまぁいいやと考えてしまったり。杓文字に付いたご飯粒を眺めつつ、そんな事を考えた。
ところで、育ち盛りの子が、おむすびを包んだサランラップに付いたお米一粒一粒を、歯や指でこそげ取っている姿が、好きだ。