2025-02-28
春を告げる人
3月の声が聞こえてくると、不思議と寒さが一気に緩むような気がする。実際はまだ北風が入れば冬の装いでちょうど良い日もあるのだが、3月のスイッチに触れた途端に体感温度がグッと上がるのかもしれない。いや、体感温度より気分が上がる方が先だろうか。2月下旬、天気予報でこの数日は桜の咲く頃の陽気になると言っていたその翌日。日向ぼっこをしに浜へ向かった。弱い南風に程よい陽射し、桜の蕾でなくても頬がほんのりと赤く色付いてきそうだ。そしてこの日、王道の季節の知らせ、早くも水着で日焼けをされる方を見かけた。あぁ春だ、春が来た、浜に来た。
2025-02-21
八丈フルーツレモン
八丈島の友人から、島特産の八丈フルーツレモンを頂いた。まず、掌を隠すほどの大きさとズッシリとした重さに驚く。グレープフルーツとオレンジの中間くらいか。端の方を切ると、添えた左手がびしょびしょになるほど果汁が溢れ出し、勿体無い!と焦って切り口から吸い付いてしまった。すると、酸っぱく苦くもない。酸味は柔らかく爽やかで、仄かに甘い。そのまま皮をむしって一房取り出すと、なんと果肉がご立派なこと!甘夏や八朔のようだ。果皮がとても薄いのも特徴で、果実が完熟してから摘むため果皮にも苦味が少なく、そのまま食べられる。友人は、皮は細かく切ってサラダに混ぜていると言う。私はスティック野菜のごとく、皮だけでムシャムシャ。調べてみたところ、八丈フルーツレモンは元々、菊池レモンと言われていたそうで、1940年に菊池雄二さんがテニアン島から持ち帰り、次第に島内に広まり、今は八丈フルーツレモンと言う名前で人気が高まっているとの事。まずは一度、そのままひと齧りしてみて頂きたい。
2025-02-17
価値
秘境とも言える奥深い土地で暮らす少数民族を訪ねては世界を旅し、そこで体験した事を話したり、その土地に受け継がれている手仕事の貴重な物を日本で紹介している女性から、価値観を考えさせられるお話しをお聞きした。そう言う土地では物を得たり買ったりは人生の中でさほど重要ではないのか、お金のやり取りに戸惑う事がよくあるそうだ。ベトナムのモン族を訪ねた時のこと。ある店の置物が気に入り、金額を店の人に聞くと、売り物ではなかった。しかしとても魅かれたので、可能なら売って欲しいとお願いすると、「商品ではないから売る事は出来ない。でも君が気に入っているのなら、あげる事は出来る」と言われたのだと。モン族のお話しをもう一つ。仲良くなった青年に、「もしどんな欲しいものでもあげる、一つ叶えてあげると言われたら?」と聞くと、青年は「木を植えたい」と答えられたと。木は実がなる、木材になる、土地が豊かになる、人々が集まる、仕事を生む、そして、子孫に残す事が出来る。全てが叶う。だから木を植えたい、と。お金の価値とは、何であろう?
2025-02-12
シェー⁈
とある公共施設の階段を降りていた。ここは20段程の階段の途中、小さな踊り場があり、そこで曲がってまた階段となる。手すりの下には厚い板がはめ込まれ、上がり下りの際に踊り場までは対向の相手が見えない。なので、お互いが内側を歩いてくると、踊り場で鉢合わせしそうになる事がある。この時も上がって来る人の足音は聞こえるのだが、内側か外側か分からず、曲がる際にぶつかりはしないか、私は用心しつつ内側を下りていた。すると、やはり上がってきた方も内側にいらしたので、私は咄嗟に立ち止まった。ところが相手の方(40代くらいの男性)は、全く予測されていなかったようで、目の前に人が現れた事にびっくりして、「ヒャッ⁈」と声をあげながら、大きくピョーンと左へ飛び跳ねた。しかも、両手を左上へ上げたので、まるでおそ松くんに出てくる「シェー⁈」そのものだった。私の方は、目の前で大の大人が「シェー⁈」をされたのだから、それこそ驚くと同時に、とても貴重なモノを見させて頂き、つい有難うございます…と呟いてしまった。咄嗟の反射行動って人間の本質が出るようで、面白い。
2025-02-05
ひとりの幸せ みんなで幸せ
人間って、不思議なもの、勝手なもの。たった一人で美味しいものや楽しい事を存分に満喫したい気持ちがある一方で、次第に寂しさを感じ、誰かと共有したい、分かち合いたいと思ったりもする。先日波乗りをしていた時、初めは小さなウネリだけだったのが、潮が引いて徐々に小波ながら形良く割れ始めてきた。私にはちょうど良いのんびり感。そしてそのポイントにいるのは、私一人。セットの波を乗り放題。晴天の下、幸せを共にするのは、足元の小魚と空のカモメだけ。世界でいちばんの幸せ者だと感じた。ところが、楽しくなれば楽しくなるほど、この気持ちを誰とも分かち合えないもどかしさが募り、少しずつ高揚感も下がってきてしまった。誰か入ってきてよ、一緒に楽しもうよ…。浜を見ながら心の中で呟く。一人では寂しく、大勢では煩わしい、何とも身勝手。何事もほどほど、と言うのは、最も難しい幸せの形なのかもしれない。