2020-03-27
非日常の味
私が10歳くらいの時、母が外出し、父と2人で食事をとる日があった。父は昭和の頑固世代。インスタントラーメンくらいしか作れない。そこで、車で何か食べに行こうと出かけた。時間が悪かったのか車を止められず、食べたいお店も見つからず、しかし親子揃ってお腹は減る一方。その時ふと目に入ったのが、押し寿司の看板。なぜか富山名物「鱒の押し寿司」を販売しているお店があった。特に好物ではないし、普段なら気にも止めないであろうが、この時は親子揃ってお腹が鳴る状態。父はアレでいいか、と言い終わらないうちにウインカーを出し、お店の方へと曲がった。購入した後は直ぐ、車の中で封を開け笹を剥がし、食べはじめた。それまで父と車の中で物を食べると言うことがなかっただけに、幼心に非日常度がかなり高く、この時の笹の青い香り、酢飯の酸味、鱒の身の鮮やかなオレンジ色、そして父と娘の普段とは違う食事の時間、それらは今でも鮮明に覚えている。さてここのところ、食の面で非日常を強いられてらいるご家庭も多いかと思います。そんな中で頂いた食事を、笑って話せる日が一日でも早く来ますように…。
2020-03-23
Reduce
海を主に調べていらっしゃる環境活動家の方とお話しをする機会があった。様々な海からマイクロプラスチックを採取、調査した結果、地球の海はプラスチックのスープになっていると仰っていた。お味噌汁を飲み終わった後に、お椀の底に麹や大豆の細かい粒が残るが、あれが全てマイクロプラスチックだっらと想像し、ゾッとした。この問題は南極にまで広がり、もはやリサイクルでは間に合わず、ゴミを出さないリデュース=発生抑制を第一に考えるべきとも仰っていた。リサイクルの落とし穴の一つにペットボトルから作られた繊維があり、深海にこの合成素材の繊維が見つかっているのも、ここ最近のことなのだそう。ファストファッションを求めた安直さとリサイクルの名に隠された人間のエゴは、海の中をこの先どこまで漂い続けるのだろうか? モノを購入する際、自分の手を離れた後にどうなるかを考えるのは難しいが、意識して生活をしていきたいと思う。
2020-03-13
育む
陽射しが強くなり、七里ヶ浜の海岸など、一部黒砂になっている所は、裸足で歩くと熱いくらいに感じる時がある。砂が白いか黒いかで、随分と温度に差があるものだ。その黒砂と白砂の境を見て、浜を歩いていた10歳くらいの男の子がお父さんに、「砂が日焼けしちゃったね」と言った。なんてユーモアのある発想だろう⁈ 子供の表現力や想像力には、大人がどれ程経験を積んでも、どんなに頭をひねっても、太刀打ち出来ない豊かさがあると思う。でもそれを表せる場所があるか、伝えられる人が居るか、この有無によって小さな才能が開花するかどうか、それは更にこの先の文化にも大きく関わってくるのではないかしら? ここ最近、政治の流れだとか大人の事情の為、子供達の生活がオセロゲームのように白くなったり黒くなったり、不安定な事が多々ある。どうか希望や夢を持って、みな花開く未来でありますよう、祈るばかり…。
2020-03-04
救いの一曲
心が塞ぎがちな時、音楽に癒される事は多々ある。お気に入りの曲や懐かしい曲を耳にした途端、凝り固まっていた体がスルリと軽くなったり、へこんでいた気分がキュン!と上向いたり、そんな一曲をどなたでも一つ二つお持ちかと思う。私の場合、Allman Brothers Bandの「Jessica」。7分ほどの長いインストゥルメンタルで、思いのままに自然の中を行く、泥くささと爽快感溢れるロードムービーを見ているかのようで、心が解放されてくる。
出かける事に規制のかかる今、取り敢えず、この曲を部屋でガンガンかけ、長椅子をワンボックスカーに見立て、皆んなで踊りながらサーフトリップへ出かけている妄想に浸っておこう。